野田佳彦さんのこと(続き)

結構、テレビでも取り上げられていますが、駅前演説、24年も続けていたとは知りませんでした。

地元市民にとっては見なれた顔ですが、みな「あの人がねぇ」みたいなコメントをしています。
そう、まさか彼が首相になるとは、おそらく多くの人が思っていなかったと思います。

でも、悪口を言う人はあんまりいないんじゃないでしょうか。
彼の活動をちゃんと見ていたら、それなりの評価をせずにはいられないと思います。

彼の政治信条について賛否を語るつもりはないですが、それ以前に、何かをしようという意志を持った、ひとりの人間として、私が「彼のここは評価できる」と思えることは、

・彼が長きにわたって、決まった時間に、同じことを続けたこと。
・彼が直接、ほとんどひとりで活動を行っていたこと。

です。

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何より、朝早い時間から、毎週同じ曜日に、夏の暑い日も、冬の寒い日も、同じ場所に立って新聞を配っていたというこです。(私の知る限り船橋市内の3駅で行っていた模様です。それだけで週に3日です。)
それって中途半端な意志ではできないと思います。

たまにいないことがあると、あれ、今日は●曜日じゃなかったっけ?とか、今日は風邪でもひいたのかしらなんて思ったりしました。

翌週、再び姿を見るとほっとしたり。
そういうときは大抵、「先週はどこそこへ行っていて〜」と新聞に書いてあるので、あぁなるほど、と納得したり。

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そして何よりも重要だと思うのは、彼が直接、自分で活動していたということです。

おそらく、道を通り過ぎるほとんどの人は、私も含めて、彼がいずれ首相になるだなんて思っていなかったでしょう。
ティッシュがついているでもなく、クーポンがついているでもない、わら半紙みたいなミニ新聞。
それを、背広を着た彼が「おはようございます」と言って差し出したところで、受け取ってもらえないことも多いわけです。
たとえ何年も続けていて彼の顔を知っていたとしても、受け取らない人はいるでしょう。

もちろん、私と同じように短く挨拶をして受け取っていく人も結構いましたし、もっと進んで、直接何か話しかけていく人も見たこともあります。

・・・でも、これって、結構しんどいことじゃないでしょうか。

彼自身の強い意志があったからこそ、続けられたんだと思います。
誰か人を使ってやらせていたら、これだけ長期間は続かなかったと思います。
お金もかかるでしょうし、お金で雇われた人から新聞をもらっても、おそらく我々の心には響きませんでした。

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私の周りには、自分でできることも敢えて自分でやらず誰かにやらせ、誰かにやらせたことで自分が偉くなったような気になっている、というタイプの人がいて、イライラさせられます。
都合の良い時だけ自分が前に出て、都合の悪い時には誰かを前にして自分は後ろに隠れる。
そしてそれを「要領がよいこと」だと思い込んでいるような人。
そういう人、結構いませんか?

でも、少なくともこの活動において、彼はそうじゃなかった。

そして、ほんの一瞬のことかもしれませんが、毎週、通勤経路にいる彼の地道な活動を、我々は見ていたわけですよ。
自分の周りで起きていることによほど無関心ならば別として、そんな人がいたら、彼のその行動について、良い評価をしたくなるのではないかと思います。

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しかし、それは、人として、政治家としての基本的な姿勢に対する評価です。
これからは中身が勝負。

さあ、どうでしょうか。