甘えの構造 〜シンデレラのその後〜

昨日、登山者の話を書きました。
表面的なことしか見ず、自分の都合しか考えないお大人はよろしくないでしょうということだったんですが・・・。

根底にあるものは同じだと思っているんですが、昔見たドラマにこんなのがありましたので、ついでに書いときます。当時、「トレンディドラマ」と呼ばれていたものです。

それは、ある女性と財閥の御曹司の恋物語。しかし、女性はとても彼に釣り合うような出自ではなく、ふたりの邪魔をする人間も現れる。でも、最後にふたりの思いは通じて・・・というものですね。

そのお話の中で、その御曹司が女性を、自分が経営するテーマパークのようなところに、閉園後、呼び出すのです。
呼び出された女性が現地に行くと(詳細は忘れましたが)、御曹司は暗い中でぽつんとひとり待っています。
でもどうせ私なんてあなたとは釣り合わないし的なことを彼女が彼に叫ぶと、彼が彼女に対する思いを告げる。
すると、それまで真っ暗だったテーマパークの照明が一斉に付き、音楽が鳴り出し、スタッフがみなで彼女を歓迎する・・・と、確かそんな感じでした。

そのシーンを見て、背筋が寒くなりました。
こんなドラマ作ってどうするわけ?
多くの女の子はこんなので喜ぶわけ? 
というか、喜べというわけ?
と、作者に対し怒りさえ感じました。

たぶん、作者は、自分のために自分が大好きな男性がその権力を自分のために使ってくれるのは、
女性にとっては嬉しいことだ、と考えたんじゃないでしょうか。

でも、当時、会社員として何年か働き、仕事の苦労もたくさんしていた私にとっては、こんなストーリー、とてもじゃないですが許せませんでした。

だって、いくらイケメンでも、自分の女のためにスタッフを残業させ、そんな演出もさせるなんて。
・・・そんな経営者の元で働きたいと思いますか?
そんな公私混同な会社で働きたくないですよ。
乗りもしないマシンを電気代をかけて動かして、夜中に音楽まで鳴らして・・・周囲に民家はないのだろうか。
周辺住民とは営業時間の約束をしていないのだろうか、なんてことを思っちゃったわけです。

でもなにより問題なのは、そんなシーンを見て、「素敵だわ」と思ってしまう側にあるんじゃないかと思います。
そんでもって、そう思ってしまう人間を育ててしまうことです。
このドラマも、「ね、それってすごいでしょ。憧れちゃうでしょ。」と言っているようで、背筋に悪寒、でした。

このお話もそうですが、結局、王子様と出会って結婚するのがゴールであり、正しい道だ、それが幸せなんだ、みたいなことを散々吹きこまれて女の子は育てられているように思います。
そう、女の子向けのお話の代表である「シンデレラ」もそうですね。

でも、シンデレラが結婚した後のお話は誰も語りません。
結婚した王子はいずれ年をとってイケメンじゃ無くなるかもしれませんし、もしかしたら浮気をするかもしれない。
子供に恵まれたとしても、例えばその子供が出来が悪くてとても国を任せられる状態ではなくなり、どうすればよいのか悩むかもしれません。
しかし、そんな苦労については一切、触れません。
結婚というゴールに向かう段階での苦労はお話の中に出てきても、最後は幸せな場面で終わってしまう。
でも、そのゴールの後の苦労については一切語ろうとしません。

大人になれば、そのゴールの後にもまだ苦労があるかもしれないと気づくわけです。
自分の努力だけではどうにもならないことに巻き込まれるということが、人生、多々あると。

しかし、社会経験を積んだり一生懸命考えたりしなければ、いつまでたっても大人になれないわけですよね。
そういうことが想像できずに結婚して子供を持つから、自分の都合しか考えない、モンスターな人たちが増えるんじゃないでしょうか。