甘えの構造 〜気軽に救助を呼ぶ登山者〜
今日のYahoo!ニュースにこんな記事がありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110810-00000304-yomidr-soci
富士山登山をする人が、自力で解決できる問題なのに、携帯電話を使って簡単に救助隊を読んでしまうというお話です。
「けがをして動けません」という連絡をしておきながら、有料と知るや、「じゃ、良いです」と言って自力で降りるだなんて、大人のやることじゃぁないですよね。
「ヘリを飛ばせ」だなんて・・・ドラマじゃ映画じゃあるまいし。
いくらかかるのかは考えないんでしょうね。
ドラマの中では、請求書が回って来たり、その支払いに困ったりするところは取り上げませんから。
だって、地味でつまんないですから。
そういう人って、きっと、大人として自立した人生を歩んでいないんでしょうね。
普段から、都合の悪いことは誰かに押し付けたり、見ないことにしたりしているんだろうなぁ。
で、たぶん威張ってますよ。だから、迎えに来い、と簡単に言えるんでしょうね。
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100歩譲って、仮にその人がコストの認識ができていたとします。
今の世の中、ありとあらゆるサービスがあって、お金さえ払えば何でもやってもらえます。
そういうことで経済が回っているのは事実。
だから、本当なら自分でできることを誰かにやってもらう、ということも、そういう意味では良いのかもしれません。
でも、それとこれとは違いますよね。
3000メートルを超える山に登るということは、過酷な状況でも自分の命を自分で守る覚悟と準備をして行くべきですよね。
命がけで登るべきところなのでは?
というか、そういう、何もない中でのぎりぎりの状況の自分、を経験したい人が行く場所では?
それで危なかったら、もちろん、救助隊を呼ぶべきです。
日本で一番高い山なんですから、気軽に登る所じゃないということは、大人なら気付くのでは?
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記事にあるのは40歳代と60歳の男性。
最も分別があるとされている年齢じゃぁなかったんでしょうか?
そりゃぁ、日本はダメになりますよね。