人は異質なものと出会うからこそ成長する

昨日は、例の出来事を元に、私が出会ったそれぞれの県の人の印象なんかを書きました。
あくまで私の個人的な印象ですので、もし、気分を害された方がいらっしゃったらすみません・・・。

私が言いたかったのは、

育った環境によってそれぞれ独自のものを身につけていくでしょうし、
自分とは違っている人と接するからこそ、成長ができる、

ということです。

***

初めて大阪の人たちと仕事をした時、まずその思考やコミュニケーションのテンポの良さに圧倒されました。
そして、昨日も書いたのですが、なにしろ、好奇心が強くて、話しかけられたら一度はその話を聞いてみようとする。

東京の人間によくあるような、一度話を聞いてしまうと断れずにそのままずるずると最後まで話を聞き、そのままなんとなく次の約束をしてしまい・・・という、優柔不断さが無いのです。
東京の人は、話を聞いてしまったら断れないと思っているので、話を聞く前から不要と判断してしまう場合があります。

でも、大阪の人たちは、一応話を聞いて、
相手の話にふんふんと頷いてあいづちを打ち、ときには冗談を交えて返し、
でも頭の中ではその話が自分にとってメリットがあるのかないのかを冷静に考えている。
そして、不要と判断すると、ピシッと断る。
でも、その断り方は決して冷たくないんです(大阪弁のせいでしょうか)。


・・・私にとっては、最初は衝撃的でした。
でも、「あぁ、そうすればいいんだ」と学びました。

話を聞く前に断るのは、話を聞く(情報をもらう)というチャンスを失います。
それに、今は不要、と思っても、話をよく聞くと、実は自分にとって有益かもしれません。
そのチャンスも失います。
話を聞いていれば、その間にゆっくり判断することもできます。

なるほど、仕事をするうえで、大阪の人たちのような仕事の仕方のほうが、メリットがあるかもしれない、と。


名古屋の人と一緒に行動をしている時もそうです。
私がうっかり、どうでもよいものを買ってしまうときでも、彼らは財布を開きません。
必要かどうかを冷静に判断しているようです。
自分がいかに無駄遣いをしているのかを思い知らされます。


こうして、自分とは違った感覚を持った人たちと接することで、いろいろと学んできました。
同じような考え方、常識を持った人たちとばかり一緒にいると、新しいことを学ぶことができないのだと
いうことも学びました。


こういうことは、外国人と接するともっとわかりやすいですね。

***

自分とは違った考え方、新しい考え方に触れることは、すべての人にとって快適なものではありません。
心が弱ければ、耐えられません。
排他的で身内で固まりたがる人間をよく見ていると、大抵は心が弱いようです。
だから、身内でつるんで、悪口を言って、自分たちが正しいと思いこもうとする。

でも、多少つらい思いをしようとも、積極的に外にでることで、学ぶことが増え、自分が成長できるのだ、
と思っています。