ふるさと
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
室生犀星の詩の冒頭部分です。
この部分だけとても有名ですね。
ここだけだと、「ふるさとっていうのは遠く離れたところに行くとその良さがわかるものだなぁ」と
いう意味かと思う人が結構いますが、実は、室生犀星はそういう気持ちでこの詩を書いたわけではないそうです。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
現代語に”超訳”をすると、ふるさとは遠くから思うものであって、悲しくうたうものである。
たとえ、落ちぶれて全然知らない土地でホームレスになったとしても、決して帰る場所ではない。
ひとり都会の夕暮れを見てふるさとのことを思って涙ぐんでいます。
その心を持って、遠い都(犀星のふるさと=金沢という解釈と東京という解釈があります)へ帰ろう。
どうやら犀星は子供の頃、その生い立ち故にいじめにあっていたそうです。
だから、故郷には帰りたくても帰れない。
***
この詩はすごいと思いますが、でも、津波で故郷の街ごと無くなってしまった人たちに比べたら・・・と思ってしまいます。
その街の中での人間関係がどうのこうの、以前の問題ですもんね。
ふるさと自体、そっくり無くなってしまっているんですから。
犀星が津波のニュースを見たらどう思うんでしょう。